残雪(裏) 残雪(表)

◎ エッセイ

 

○ パン屋経営者・パン職人(人) 08/03/2017

残雪(裏)

 

自分にとって、合わない店長がいた。仮に長渕さんとしておく。
(長渕剛に似ていたからである。ちょっと怖い顔)
長渕さんが悪いのか、自分と合わないのか、もちろん自分が悪いこともある。
なんにせよその人が側にいると居心地が悪かった。

長渕さんは、ひとつ年上で23最。この職場での経歴も自分より長い。
店長になるくらいだから、腕は確かである。
中学卒業後、パンの世界に入る。中学時代は鑑別所にも入り、札付きの悪だった。
本人いわく。嘘、誇張ではないだろ。顔の傷や言動が物語っている。

悶々としていた。長渕さんと一緒に仕事をしたくない。退職をしたい。
仕事に行き詰まりを感じていたこともある。環境を変えてみたい。
それは逃げともいえる。吉と出るか凶と出るか。
どうしたら良いのか。何がベストなのかわからない。

窯の担当をしていた。
今、3段、5枚出しの窯で食パン、バケットが入っている。
残り1段で、しばらく焼き回す。ホイロもいっぱいだ。
その状況でなぜ、マフィンを焼けというのか? まったく理解できない。
売り切れているから焼きたいのはわかるが窯に余裕があるときでないと厳しい。
マフィンは生地が完成すると、早く焼かないと出来は悪くなる。
「マフィンを焼くのは厳しいです」
反抗しているわけではない。誰の目にもそういう状況なのだ。
この場をなんとかこなすこともできるかもしれないが、
今後、こういうこをしないほしいという意味も含まれている。

長渕さんは逆ギレすると、「窯を変われ」という。
マフインを焼き始めると、窯が落ち着くまで焼成をしていた。
確かにそのあと窯を焼き回した。しかし、過発酵パンになっているではないか。
もし、自分がこんなパンを焼いていたら、自分を叱りつけていただろう。
結局のところ、どっちにしても叱る展開になっていたということだ。
マフィンを焼かなかったら、どうってこともなかった。

パートのMさんがいた。
前のパン屋を定年退職していた元パン職人。午前中の4時間限定で仕事をしている。
Mさんが約1ヶ月にある年に1度の健康診断があるから休ませてほしいと願い出た。
それを長渕さんは認めなかった。
戦力ダウンになることはわかっている。それでも認めるものだろう。
しかも会社ではパート扱いなのである。
「店のことを考えると、休んでもらうわけにはいかない。店のことを考えていただきたい」
すったもんだの挙句、結局は休むことになった。
Mさんが社長に直訴する展開になったからである。

長渕さんは社長と速水さんには受けが良かった。
店の売り上げは順調に伸びていた。ワニ男の店舗とは違うのである。
パンの質も高かったこともある。
なにより、店長と速水さんの前では人が変わったように穏やかになる。別人だ。
普段の言動ではない。それが腹ただしく思えた。

ある日、父から店から店に戻って来てほしいと要請があった。
隣の家が空き家になり、店を改装するならと地主さんは優先してくれるという。
今、改修しないと放棄したのも同然となってしまう。
父は糖尿病だったので、1人で続ける体力もない事情もあった。
渡りに船だった。退職したい気持ちと戻ってほしいと言う父。決定的となった。

社長と速水さんの前で退職の事情説明をして、思い出話もしていた。
長渕さんのことが気掛かりだった。悔しい気持ちもある。
ふたりの前では別人になることが嫌だった。
それだけは社長に言っておきたい。普段は違うと。
社長は信じなかった。隣にいる速水さんも同じく。

退職して、1年と少し経った頃だった。
社長と話す機会があり、長渕さんが退職したという。強制だった。
長渕さんの下で働く人が3人連続で辞職したからだ。
Nさんとちょっとしたことで口論なり殴り合いのケンカ。
元パン職人のMさんと後輩のひとりのこれで3人目。さすがにそれはおかしいとなった。
退職のときに通告したことが現実となっていた。
「退職するときに言っていたことがその通りになってしまった」
溜飲した思いだった。

その後、長渕さんは数店のパン屋に移って行った。
速水さんのパン屋でも働いたこともある。長渕さんの力を買っていた。
腕はあるが暴れ馬なだけで、ならしてしまえば、G1馬になる可能性もある。
軌道に乗り、大丈夫と思われた矢先に遅刻した。
遅刻すること自体は仕方がない。早朝の仕事であり、誰にでも可能性はある。
ところが昼時に速水さんが連絡をしても、誰も出ず、遅刻は無断欠勤となり深刻な問題となった。
連絡はなく、翌日の朝も来なかった。

無断欠勤の理由は、朝起きたときにすでに1時間以上過ぎていた。
電話するのが怖くなり、そのままできなかったという。昼の電話に出るのも怖かった。
会社に行くこともできず、そのまま家にずっと居た。
話し合いの結果、退職にすることになった。それ以来、速水さんは長渕さんと合っていない。
退職というには、あまりにも情けない結末。
今もどこかのパン屋で働いているだろうけど、消息不明となっている。

 

○ パン屋経営者・パン職人(人) 08/03/2017

残雪(表)

 

自分にとってどうしても忘れられない。いや、忘れていけないパン職人がいる。
長渕さんのことである。思い出すと不思議で特別な感情が湧き出てくる。
なぜ、だろう。いや、わかっている。ある種の恩や感謝を感じているからである。
自分をパン職人として成長させてくれたのだ。

長渕さんは、ひとつ年上で23最。この職場での経歴も自分よりも長い。
店長になるくらいだから、腕は確かである。
中学卒業後、パンの世界に入る。中学時代は鑑別所にも入り、札付きの悪だった。
本人いわく。嘘、誇張ではないだろ。顔の傷や言動が物語っている。

ひとつ年上といっても職歴で4年長い。自分と比べて技術があるのは当然ではないか。
そう思っていたけれど、自分が4年経ったとき、同じようにできるのか。
できないだろう。今のままでは。
すでに基本技術や対応能力で大きな開きがあるのは誰の目にも明らか。
そのことに気付いたとき、言動を注目することにした。

「努力をしているか?」
何気なく言われたとき、ハッとした。
成長しているのか自分。してないんじゃないか。
同じことの繰り返しの日々に変わらずにいた。
慣れでしているのだけでは成長なんて望めない。

「家でバケットの成形の練習しているか? タオルで折ってするんだ」
バケットの成形は簡単そうにみえて難しい。
タオルで成形? タオルで折っても二次元であり、実際は三次元。
それで練習できるものなのか? 試してみると効果はあった。
イメージトレーニングだった。
明確なイメージを持つことはとても大切なことで、パン技術のあらゆることに共通している。

「悔しくないのか?」
1歳しか違わないのに、ここまで技術力に差がある。
悔しさは成長を生む。15歳でパン業界に入り、悔しいことはたくさんあっただろう。
今に見ていろ。技術を身に着けて誰にも文句は言わせない。
技術を覚えることは最大の武器となる。結果を出せ。

「若いときは、24時間仕事に没頭する時期が必要だ」
若いときは恋人がほしいだろうし、友達に何かと誘惑がある。
それでも仕事に集中することは大事。
製パンの仕事は覚えることが多く、仕事の幅を広げた方がいい。
幅を広げていると、アンテナとなり吸収することが増える。
経験していたことが何かと繋がり、成長は早くなる。
若いときに仕事を集中する時期を持ってほしい。

その他、見ているだけで参考になる仕事の言動はあった。
現在、長渕さんは消息不明だが、その言葉ひとつひとつ残雪のように自分の心の中にある。
人として尊敬はしていないが、パン職人としては敬意を表します。
あれだけよく、パンのことに打ち込めるものだ。立派だったと言わざる得ない。
今はどこのパン屋で働いているのだろうか。

 

 

 

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